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エクセター (ニューハンプシャー州) : ミニ英和和英辞書
エクセター (ニューハンプシャー州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

エクセター (ニューハンプシャー州) : ウィキペディア日本語版
エクセター (ニューハンプシャー州)[す, しゅう]

エクセター ()は、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州ロッキンガム郡の町である。2010年国勢調査では、人口14,306 人だった〔United States Census Bureau, American FactFinder , 2010 Census figures. Retrieved March 23, 2011.〕。1997年までロッキンガム郡の郡庁所在地だったが、その後隣接するブレントウッド町に郡庁舎が移された。町内には私立大学準備校のフィリップス・エクセター・アカデミーがある。エクセター川が、潮汐のあるスカムスコット川に注ぐ場所に町がある。
町の都心部には、2010年国勢調査で9,242人が住んでおり〔、この部分はアメリカ合衆国国勢調査局によって国勢調査指定地域に指定されている。
== 歴史 ==

エクセターとなった地域はかつて、ペナクック族インディアンの支族であるスカムスコット族の領土であり、エクセター川が、潮汐のあるスカムスコット川に注ぐ場所にある滝周辺で漁を行っていた。その滝の周辺にエクセターの町が発展することになった。1638年4月3日、ジョン・ウィールライト牧師達が、インディアンの酋長ウィハノウノウィットから土地を購入した。ウィールライトは義妹のアン・ハッチンソンの反体制的宗教観を共有したことで、ピューリタンが支配するマサチューセッツ湾植民地から追放されていた。ウィールライトは町を作るために175人を連れて来て、町名をイングランドデヴォン州エクセターから採った。当初の地方政府はマサチューセッツの政府と結ばれていたが、1679年にニューハンプシャーが別の植民地になって、それに属するようになり、1769年から郡という行政単位も導入された。
エクセターはこの地域では最初にできた4つの町の1つであり、ニューマーケット、ニューフィールズ、ブレントウッド、エッピング、フレモントの町を含んでいた。1639年7月4日、エクセターの自由人35人が、ウィールライトの書いた町政府を作るための文書であ「エクセター同盟」に署名した。開拓者は狩猟、農作、漁労を行っていた。他に牛や豚を飼う者もおれば、屋根板や樽板を作る者もいた。
下段の滝にある島の東側にトマス・ウィルソンが最初の製粉所を開いた。この製粉所はエクセター入植の最初のシーズンに開設され、トマスが死んだ1643年にはその息子のハンフリーが製粉所を引き継いだ。
エクセター初期の開拓者には、ギルマン、フォルソム、リービット各家などマサチューセッツのヒンガムから来ている者がいた〔John Leavitt, founding deacon of Old Ship Church in Hingham, was granted land in Exeter in 1652, but there is no sign that he took up residence. But his sons Moses and Samuel Leavitt moved to Exeter, presumably to be closer to their maternal grandfather, Edward Gilman Sr.〕。1647年、エドワード・ギルマン・ジュニアが最初の製材所を設立し、1651年にはギルマンが木材、板材、マストの成長事業を遂行するために50トンのスループ船を持っていた。1653年、ギルマンは製材所のための装置を買うためにイングランドに渡航中に亡くなったが、その家族が製材業者、造船業者、商人、政治家として著名な一家になった。
アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されるギルマン・ガリソンの家屋や、アメリカ独立博物館はどちらもギルマン家の家屋だった。ギルマン家は、フィリップス・エクセター・アカデミーが現在立っている土地も寄付しており、そのキャンパスでは最古の部分である当初の庭も含んでいる。エクセターのギルマン家からは、アメリカ合衆国憲法に署名したアメリカ合衆国建国の父ニコラス・ギルマンが出た他、ニューハンプシャー州には知事、財務官、州会議員、裁判所判事を輩出してきた。
ギルマン家はポーツマスを母港にする船を所有し、遠く西インド諸島まで貿易を始めた。それは危険性の高い事業だった。例えば1803年の航海では、ジョン・テイラー・ギルマン知事、オリバー・ピーボディ、ギルマン・リービット大佐他が所有する180トンのクリッパー船''オリバー・ピーボディ''が、ホレーショ・ネルソン提督の指揮するイギリス海軍ブリッグから乗り込まれた。ネルソンはフランスに対する海上封鎖を実行しており、船の船長スティーブン・ギルマンにグラス1杯のワインを提供し、積載貨物についてはスペインのドルで支払った。この航海はエクセターの大望ある商人が、その貿易遠征で如何に遠くまで行っていたかを示している。
エクセターがインディアンから最後に襲われたのは1723年8月であり、1725年までにインディアンはこの地域から去っていた。1774年、植民地総督ジョン・ウェントワースがポーツマスの議事堂から集会を禁じた後で、反抗した植民地会議がエクセターの町役場で集会を始めた。1775年7月、植民地会議はポーツマスのイギリス側役人から植民地の記録を押収し、エクセターに持ってきた。このことでエクセターはアメリカ独立戦争期のニューハンプシャー州都となり、コンコードに州都が移されるまでの14年間続いた。
1827年、エクセター製造会社が川傍に設立され、水力を使って綿繊維を製造した。その他、短靴、鞍、ハーネス、木材、箱、レンガ、4輪馬車、自転車が製造された。1836年、エクセターでは最後のスクーナーが進水した。1840年、ボストン・アンド・メイン鉄道が町に入って来た。
元州知事のヒュー・グレッグに拠れば、エクセターの共和党は1853年10月12日、スカムスコット・ホテルで、エイモス・タックなど奴隷制度廃止運動家による秘密の集会で生まれた。この集会でタックは、共和党と呼ぶ新しい政党の結成を呼び掛けた。1853年12月、「ニューヨーク・トリビューン」のホレス・グリーリーはタックの集会を知った時に、「共和党という名前が一番いいと思う。ジェファーソン主義者にもマディソン主義者にも通りが良く、それ故に受け入れられやすい」と述べていた〔"Birth of the Republican Party", H. Gregg〕。共和党で最初の大統領エイブラハム・リンカーンは1860年にエクセターを訪れていた。その息子であるロバート・トッド・リンカーンは、1781年にジョン・フィリップス博士が設立した大学準備学校フィリップス・エクセター・アカデミーに入学した。町には1867年に設立されたロビンソン女子神学校もあり、それ以前は1826年に設立されたエクセター女子アカデミーと呼ばれていた。その目立つ第二帝政期建築の校舎は1869年に完成したが1961年に焼失した。
1965年9月、ユージーン・バートランドとデイビッド・ハントというエクセターの2人の警官が、地元のティーンエージャーであるノーマン・マスカレロと共に、近距離から明るい赤のUFOを目撃した。この件は全国紙でも取り上げられ、ジャーナリストのジョン・G・フラーが著した『エクセター事件』はベストセラーになった。この3人の目撃者に対し、空軍は彼らが観察した妙な物体を識別できなかったことを認め、UFOマニアからは記録に残る最大級に印象的なUFO目撃談だと見られている。
エクセターには著名な建築家による建築物がかなり多く現存している。エクセターの町の創立者家族の子孫であるアーサー・ギルマンは、1855年の旧町役場を設計した。1894年建設の旧公共図書館は現在エクセター歴史協会が入っており、ボストンの会社ロッチ・アンド・ティルデンが設計した。同社で訓練を受けたラルフ・アダムズ・クラムは、1897年建設のフィリップス教会と、1911年建設のタック高校を設計した。クラムが作った会社、クラム・アンド・ファーガソンは1908年から1950年までフィリップス・エクセター・アカデミーの全体を設計した。最近では1971年に建設されたアカデミー図書館がルイス・I・カーンの設計だった。エクセター生まれの彫刻家ダニエル・チェスター・フレンチが、1922年に町の戦争記念碑を制作した。フレンチはワシントンD.C.リンカーン記念堂にあるエイブラハム・リンカーンの像を制作したことで著名である。1916年にエクセターの町広場にあるスワシー・パビリオンを設計したヘンリー・ベイコンがリンカーン記念館を設計した。
町内の著名なものとしてスワシー・パークウェイがある。これはスカムスコット川沿いの桟橋と倉庫に代わったものである。またウォーター通りに1915年に建設されたイオカ劇場もある。この劇場はエクセターの判事で住人だったエドワード・メイアーが建設した。メイアーがこの劇場で最初に行ったのは、D・W・グリフィスの映画『國民の創生』の上映だった。この劇場の奇妙な名前はボーイスカウト運動に熱心な若い女性の提案だった。イオカはインディアンの言葉で運動場を意味している。

ファイル:Town Offices, Exeter, NH.jpg|町役場、1912年頃
ファイル:Falls, Exeter, NH.jpg|スカムスコット滝、1907年
ファイル:View from Tower of Phillips Church, Exeter, NH.jpg|フィリップス・エクセター、1910年
ファイル:Linden Street, from Front Street, Exeter, NH.jpg|リンデン通り、1909年頃
ファイル:Exeter Town Hall.jpg|現在のエクセター町役場、2008年9月
ファイル:Powder House Exeter New Hampshire.jpg|パウダー・ハウス、1936年
ファイル:Giddings Tavern Exeter New Hampshire.jpg|ギディングス酒場、1935年
ファイル:Liberty Emery House Exeter New Hampshire.jpg|リバティ・エメリー家屋、1935年
ファイル:Simeon Folsom House Exeter New Hampshire.jpg|シメオン・フォルソム家屋1935年
ファイル:First_Congregational_Church_Exeter.jpeg|第一会衆派教会、1870年頃
ファイル:Lower_Falls_Exeter_winter.jpeg|冬の下段滝、1870年頃
ファイル:Town_Hall_Exeter_1870.jpeg|町役場、1870年頃
ファイル:Bellows_House_Front_Street_Exeter.jpeg|フロント通りのベローズ・ハウス、1870年頃
ファイル:Robinson_Female_Seminary_Exeter.jpeg|ロビンソン女子神学校、1870年頃
ファイル:Front_Street_view_Exeter_New_Hampshire.jpeg|フロント通り、1870年頃
ファイル:View_Phillips_Exeter_Academy_Exeter_1870.jpeg|フィリップス・エクセター・アカデミー、1870年頃


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エクセター (ニューハンプシャー州)」の詳細全文を読む




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